天理市と天理教について

雑記

2025年夏、天理教総本部に初来訪してきました。

なめくじは無宗教ながら強い印象を受けたので雑記としてまとめます。

キャンプ・車中泊4年目、30代夫婦の夫のほうです。

夫婦キャンプや車中泊の楽しさを発信して、「始めてみようかな」という方たちが増えるといいなと思っています。

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天理教

特徴

天理教は1838年(江戸時代)に成立した宗教であり、新興宗教の範囲とはいえ比較的長い歴史を有しています。

奈良県天理市に本拠地を置いており、信者は海外を含め約120万人とのこと(HPより)。

本部がある天理市では、(データが古いですが)住民の25〜30%程度が天理教信者みたいです。

創造主である「天理王命(てんりおうのみこと)」を「親神(おやがみ)様」として崇め、最初の宿し込みの地点を「ぢば」、その証拠としての「かんろだい」を中心に神殿が建立されています。

本部神殿は全ての人が自由に参拝できるように365日24時間開放されているのが特徴です。

施設として他に、神殿から回廊で繋がる「教祖殿」や「祖霊殿」が存在します。

また随所にトイレと車いす用エレベーターが設けられており、あまねく人々が参拝できるような配慮が為されています。

教義

天理王命は人間が互いに助け合う「陽気暮らし」の姿を見て共に楽しみたいという思いがあり、人間に体を貸し「親」として温かく抱きしめ、教え導いているとのことです。

そのため、我々人間には「陽気暮らし」にふさわしい心になるように、他者の幸せを願い、たすけ合う心へ成長していくことが期待されているようです。

教義の内容について間違うといけないため、詳細を知りたい方はHPをご覧ください。

天理市と天理教

天理市と天理教は密接に関係しています。

まず天理教や天理教施設ですが、宗教団体ということで税免除が為されています。

市内の土地を大量に使っているのに非課税という不均衡を是正するという意味で、1967年以降は教団から逆に億単位の寄付が続けられています。

なめくじ
なめくじ

良くも悪くもズブズブというか一心同体に近い

しかし教団は市長選挙や市議会議員選挙で候補者を立てない方針をとっているらしく、教団側からの直接的な行政への関与はありません。

一方で教団からの寄付金や、信者や教団施設の利用者による経済活動からの税収入という観点から、市側が教団を軽んじることはできません。

これを第三者的な視点から見ると、宗教都市を構成する組織として市と教団がお互いに寄りかかっており行政・経済的にも不可分な状態になっているという印象です。

エピソードで見る天理市と天理教

なめくじが天理市と教団本部を来訪した理由は、失礼ながら観光のようなもので、滞在時間も1時間半程度です。

それでも実際に行ってみると、肌でその空気感を味わうことができました。

綺麗に整備された教団施設

来訪したのは30℃後半の厳しい暑さが続く7月でしたが、それでも神殿周りはゴミ一つも無く綺麗に整備されていました。

神殿自体も内部はもちろん外から見ても外壁の痛みは見受けられず、定期的に手入れされていることが伺えます。

また礼拝者には小さい子ども連れの夫婦も何組か見かけたにも関わらずゴミはおろか砂利の乱れすら存在しないのは、神殿を綺麗に保とうという意識が信者の内面へ自然と根付いていることが伺えます。

親切なスタッフ

なめくじは天理教については礼拝の作法くらいしか下調べせず行ったため、神殿のどこでどう振る舞えばいいか一切知りませんでした。

そこで神殿入口のスタッフ(と思わしき方)に聞いたら、口頭でいいところを、仕事を中断して礼拝場まで一緒に来て作法や周り方などを丁寧に説明してくれました。

また明らかに勧誘のチャンスなのに、別のスタッフの方が「ご興味があれば」とそっとパンフレットを渡してくる程度で終わり、自分たちの考えや教えを押し付ける空気を一切感じませんでした。

なめくじ
なめくじ

一神教なのに寛容性がすごい

※「にをいがけ」の精神かもしれません

穏やかなオーラの信者

直接話した訳ではないですが、礼拝に来てた信者の方々の立ち振る舞いを見ると、とても穏やかに生きていることが伺えました。

年配の方に限らず老若男女全てがです。

なめくじ
なめくじ

スピリチュアルな説明で申し訳ない

きっと「陽気暮らし」という教義が人生の各所に染み込んでいるのでしょう。

今は”丁寧な暮らし”という言葉が雑に使われるきらいがありますが、なめくじには「彼らこそ真に丁寧な暮らしをしているんだろうなあ」と感じます。

なんといっても親神様の教えを体現しようと日々努力しているはずですからね。

とある信者男性

道すがら停められていた自転車がたまたま風に煽られて倒れるシーンに出くわしました。

すると別方向から、これもたまたま神殿に向かっていた30歳くらいの男性が迷うことなく行き先を変え、倒れないように向きを変えて自転車を立て直し、何事もないように立ち去っていきました。

場所は人もまばらな37℃の炎天下。涼しい車へ早く戻りたいがため、倒れた自転車を見てみぬ振りをするか一瞬躊躇したなめくじは、その様子を見て自分を恥じました。

そして同時に他者の幸せを願い助け合う心を持つ天理教らしい振る舞いに感心しました。

アーケードの食堂のお母さん

昼飯を食いっぱぐれてテンションが下がっていたなめくじ(別記事参照)ですが、神殿から駅へ続くアーケードの食堂「つるや」さんが空いていたので入ることにしました。

時刻はもう昼3時近くで客はおらず、店のお母さんが店内でぼんやりとしていたところです。

暑さと空腹で参っていたなめくじは店内の涼しさと冷えたお水にひと心地ついた後に蕎麦を頼み、そそくさと食べました。

そして「さて会計を」と思い残りの水を飲み干して立ったら、お母さんから「お水をもう一杯いかがです」とのお声が。

要らなかったので丁重に断ってお店を出ましたが、汗だくだったなめくじに気を遣って声をかけてくれたに違いありません。

このお母さんが天理教信者かは知る由もありませんが、ささやかな気遣いが妙に嬉しくて店を出たことを覚えています。

アーケードのお土産物屋の方々

なんとなくアーケードにお金を落としたくなったなめくじは、わずかながらも何個かお土産物を買うことにします。

最初に漬物屋さんで奈良漬を買った時も「暑い中来てくれたのに店内が涼しくなくてごめんなさいね」と店のお母さんが声をかけてくれました。

なめくじ
なめくじ

実際には開放した店内でもエアコンと扇風機かけてました

別の店でTシャツを買った時には「それ(奈良漬の包み)が入るように大きい袋にしとくわね」とお母さんが持たせてくれました。

商売人として当たり前と思う方がいるかもしれませんが、曲がりなりにもサービス業で生き続けているなめくじには、こういう気遣いができるのは”センス=生き方の積み重ね”であることを知っています。

一軒二軒なら「たまたまそういう人に当たっただけ」で終わりですが、この短い滞在時間で何度もこういった他人を気遣うエピソードに出会うのは天理市と天理教の人がそうだからなんでしょう。

街の独特な経済循環

アーケードは真夏日の夕方前ということもあり、通行人はほとんどおらず閑散としたものでした。

当たり前ですがこの状況と天理市の人口を見れば、持ち家だったとしても経営が成り立つ訳がありません。

それでも商店街が生き残っているのは、ひとえに毎月行われる「月次祭(つきなみさい)」や「こどもおぢばがえり」等の各種信仰行事で来場する信者と行事を取り巻く経済活動があるからでしょう。

まず信仰があり、それを支える店と行政があり、信者やその他の住民がお金を落とすことで信仰を続けられる環境を維持する。

そんな街の独特な経済循環が想像できます。

商店街というものは少子高齢化の環境で巨大資本の出店により即死するのが通例ですが、こと天理市においては親から子へ信仰が確かに繋がることで生き残っているのでしょう。

そして信仰が若年世代まで繋がるのは、天理教の教義が日本人の気質へ親和性が高いことによる気がします。

なめくじ
なめくじ

純粋な日本発の宗教だからですかね

天理教の総評と教義への適正

なめくじは無宗教を貫いているので、天理教に入りたくなった等の感情は今でもありません。

あくまで第三者としてのフラットな意見として読んでみてください。

総評

現地で天理教施設や人々に僅かばかりでも触れて、単純ですが「良い宗教だな」という感想を持ちました。

なめくじは宗教を「集団がある地域で生き残るために最適化された生き方の指標やルール」と捉えています。

分かりやすい例でいえば砂漠地帯で発展し、厳しい戒律を持つイスラム教でしょうか。

なめくじ
なめくじ

ユダヤ教やキリスト教も本質は似た宗教ですね

これら宗教は厳しい環境(人類が生存するのに適していない砂漠や絶えず侵略を受ける陸国など)で、集団が最高効率で生き残るために内部統制や均質化を図るためのものであり、異教徒は排除・抹殺するか改宗させて取り込む方向に力が働きます。

一方で天理教は争いの少ない江戸後期の村で生まれたこともあるのか、一神教にも関わらず「いちれつ兄弟姉妹」という教義に代表される通り、異教徒や無宗派層にも非常に寛容です。

どちらかといえば教義からは、あくまで現世の全ては「親神様のかしもの」として、私利を捨てお互いに助け合って生きていこうという精神性が見出せます。

これが「和を以て貴しと為す」と育てられる日本人の気質に向いているように思います。

語弊を恐れずに言えば、天理教信者はある種の共産主義的な思想の集団で、共産主義では必ず腐敗する指導層が親神様の教義という無機物に置き換えられている状況という説明がしっくり来ます。

共産主義から生まれる独裁者に迫害された経験のある人からしたら、天理教はとても羨ましいかもしれませんね。

さて現在の日本国内では力を合わせないと生き残れない環境はかなり少ないですし、無理やり信者にさせられる、あるいは続けさせられるケースも少ないでしょう。

よって現在の天理教は、教義に適正がある同質の人々からなる横断的なコミュニティとして機能しているというのがなめくじの総評です。

教義への適正

前述した通り、天理教の教義は「親神様の望む陽気暮らしをするために教えを体現できるよう努力しましょう」ということです。

具体的には「謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、嘘をつかず、平和で豊かな世界を目指すこと」とされるようです。

よってなめくじが個人的に天理教に向いていると感じるのは、Adam Grantの指す「giver」に該当したり、その考えに賛同できそうな人です。

なめくじ
なめくじ

なめくじはど真ん中matcherなので微妙

参考:Youtube「Are you a giver or a taker? | Adam Grant

また野心的な思いがなく、心穏やかに平穏な生活を送りたい方やそういった考えを持つ人たちと生活圏を共にしたい人にもおすすめできます。

もちろん他のコミュニティ同様に天理教や天理市にも制約があったり貢献を求められることがあるでしょう。

それでも本文を見て天理教に興味が湧いたという方がいれば、まずは教会本部へ礼拝しに行ってみてはいかがでしょうか。

目で見た知識と実地の体験はまた違ったものですよ。

最後に

今回は天理教初来訪がなめくじにとって新鮮な体験だったため記事でまとめてみました。

教義等についてはできるだけ調べて記載しましたが、万一おかしな点があればご容赦ください。

つれづれと書いたこの記事が、少しでも誰かの人生の参考になれば幸いです。

なめくじ
なめくじ

ではまた次の記事でお会いしましょう

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